NY円が一時1ドル=152円台後半まで下落…1990年6月以来


日本経済がバブルに入る前。80年代の国際問題といえば、日本のだった。主な輸出先の米国から「対外貿易不均衡」の状態にあると突き上げられ、ドル高の是正を求められた。85年9月、日米欧の主要5カ国が米ニューヨークのプラザホテルに集まり、為替相場のを決めたのが「プラザ合意」だ。1ドル=250円程度だったのが、3年後に120円台まで上昇した。


これは、過去の上昇相場と比較しても高い。 大きく上がった株価やドル円相場が、一旦崩れると、急落する。1990年バブル崩壊、

歴史的なが続いている。4月末には一時1ドル=160円台をつけ、1990年4月以来の水準まで下落した。当時はバブル景気まっ盛り。85年の後の「行き過ぎた円高」に対処すべく、やを進めた結果が円安をもたらした。いまと違うのは、当時の日本経済には、まだ余裕があった。

ドル円は1982年10月に278円台と80年以降の最高値をつけた。82年10月の月中平均は271円33銭だった。ソ連がアフガニスタンに侵攻し地政学リスクが高まり、有事のドル買いが進んだ。その後ドル円は反転、1985年9月のプラザ合意でドル安誘導政策が取られたため、1988年11月にはドル円は120円台まで売られ当時の過去最安値をつけた。11月の月中平均は123円16銭だった。

ドル円、一時151.97の高値をつけ、1990年来約34年ぶりの高値更新

日本政府は、急激な円高で日本の輸出企業が大きなダメージを受けることを避けるために、景気対策として超低金利政策を推進した。これが世界景気の拡大および日本のバブルを助長することとなった。ドル円は1990年4月には160円35銭まで買われ、4月の月中平均は158円50銭と約7年6ヵ月ぶりの高値を付けた。

90年以降は日本のバブルが崩壊し円高が進行した。1995年4月にはドル円は一時79円台と80円を割り込み当時の史上最安値をつけた。4月の月中平均は83円53銭だった。90年代後半には、日本の銀行の不良債権が拡大し金融機関が相次いで破綻し、アジア通貨危機も起こったこともあって円安が進むことになる。ドル円は1998年8月には147円台を付け、1990年4月以来、約8年4ヵ月ぶりの高水準となった。

円安加速 1ドル=153円台に下落 1990年6月以来約33年10か月ぶり

1990年4月にかけて、米ドル高・円安は160円まで続いた(図表1参照)。1988年の120円から約40円米ドルが上昇した相場だったが、この米ドル高・円安は米ドル「下がり過ぎ」の反動が主因だった。

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データ引用元 : 1990年1月~1996年3月旧東京銀行、1996年4月~2005年12月旧東京三菱銀行、2006年1月~2018年3月まで三菱東京UFJ銀行、2018年4月以降は三菱UFJ銀行の最終公表相場

外国為替市場で円安が急速に進み、円相場が1990年6月以来、およそ33年10か月ぶりに、1ドル=153円台まで下落しました。

それは、米ドル/円の5年MA(移動平均線)かい離率で見ると分かりやすいだろう。1988年にかけて120円まで下落した米ドル相場は、5年MAを実に4割以上も下回るものだった(図表2参照)。少なくとも1980年以降で見る限り、5年MAを4割以上も米ドルが下回ったのはこの時以外なかった。

米ドル/円は1990年以来、約34年ぶりの1米ドル=160円まで上昇した。ただ、同じ160円でも、例えば過去5年の平均値である5年MAとの関係で見ると、1990年は5年MAがそもそも160円程度だったのに対し、今では5年MAより大幅に米ドル高・円安になっている(図表1参照)。


ドル円156円大台突破、1990年以来の高値 日銀サプライズなく無難に通過で円売り再開.

24日ので対ドルが一時、1ドル=155円台まで下落し、1990年6月以来、約34年ぶりのドル高水準となった。中東情勢への警戒感がひとまず和らいだことで、日米の金利差が改めて意識され、金利の高いドルを買って低金利が続く円を売る動きが進んだ。155円の節目を突破し、市場では、政府・がに踏み切るとの観測が一段と高まっている。

【10月20日 AFP】20日のドル円相場は、一時1ドル=150円台前半を付け、1990年以来の円安水準になった。

これに対して足元で160円を目指す動きは、5年MAを3割程度米ドル/円が上回るものだ。経験的にこれは、「行き過ぎた米ドル高・円安」の可能性を示している。「行き過ぎた円安」という意味では、1990年の160円とは異なり、「悪い円安」と感じる人が多くなっているだろう。

12日の東京外国為替市場の円相場は対ドルで下落し、一時1ドル=153円38銭と1990年6月以来、約34年ぶりの円安ドル高水準を更新した

次に日米消費者物価基準の購買力平価との関係を見て見よう。1990年の160円は、購買力平価より大幅な米ドル安・円高だった。これに対して、足元の160円は全く逆で、購買力平価より大幅な米ドル高・円安になっている(図表3参照)。

ドル・円153.32円、1990年6月来の円安更新、米金利が再び上昇

これを購買力平価からの実勢レートのかい離率で見て見ると、1990年の160円は購買力平価から3割以上米ドル安・円高だったのに対し、足元では逆に3割以上の米ドル高・円安になっている(図表4参照)。以上からすると、1990年の160円は、消費者物価から見ると「強い円」の印象だったのに対し、今の160円は「弱い円」の印象が強いというほとんど正反対といっても良さそうな評価になっているのではないか。

ドル・円153.32円、1990年6月来の円安更新、米金利が再び上昇.

ただプラザ合意が、当初より120円までの米ドル安誘導を目指したわけではなく、実際的には150円以下の米ドル安はプラザ合意の想定を超えた結果だった。このため、既に見てきたように5年MAを4割以上も下回る未曽有の米ドル「下がり過ぎ」が起こった。そして、そんな「下がり過ぎ」の反動で起こったのが、1990年4月160円までの米ドル高・円安だった。

25日の東京外国為替市場の円相場は対ドルで下落し、一時1ドル=155円74銭と1990年6月以来、約34年ぶりの円安ドル高水準を更新した。

ちなみに、1990年にかけて160円まで米ドルは上昇したが、それは過去5年の平均値である5年MAを僅かに上回ったに過ぎなかった。最近、米ドル高・円安が150円に迫る中で、5年MAを3割以上も上回ってきたことと比べると全く異なる状況であることがわかるだろう。

【速報】円安加速 1ドル=153円台に下落 1990年6月以来 ..

要するに、5年MAかい離率で見ると、足元の米ドル高・円安は「行き過ぎ」であり、これに対して1990年にかけての160円までの米ドル高・円安は、米ドル「下がり過ぎ」が是正されただけで、決して行き過ぎた米ドル高・円安ではなかった。

日米株価指数が上昇、ドル円は1990年以来となる高値151.97円を記録

にもかかわらず、1990年に160円で米ドル高・円安が終わったのは、当時対外不均衡問題が世界経済の最重要課題だった中では円安に対する米国など諸外国の不満が強かったことを示しているだろう。足元の円安に対しては、物価高につながるなどから日本国内からの不満が強いことと事情が大きく異なっている点は重要だろう。

1990年代後半に“ミスター円”として名をはせた榊原英資・元財務官は、かつてのような1ドル=100円を割り込む円 ..

ところで、1990年と言えば、もう1つ日本のバブル崩壊が始まったタイミングとしても知られている。それが160円の円安にどう影響したかと言えば、バブル崩壊に伴う株安・円安ということではなく、むしろ逆に円安終了に影響した可能性があった。

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以上のように見ると、1990年4月に米ドル高・円安が160円で終わったのは、対外不均衡是正の観点から過度な円安を容認しない当時の国際環境と、日本のバブル崩壊に伴うレパトリエーションの円買いが主な要因だった可能性がある。

1990/06, 152.85, 153.78, ND, ND, ND, ND

外国為替市場で円安が進み、円相場が1990年7月以来、およそ33年9か月ぶりに1ドル=152円台まで下落しました。

日本時間10日夜にアメリカで発表された消費者物価指数が市場の予想を上回ったことなどを受けたものです。

まだ物価高が収まらない中でアメリカの中央銀行にあたるFRBが、利下げを開始する時期が遅れるのではないかとの観測が広がり、日米の金利の差が改めて意識され、円を売ってドルを買う動きが強まっています。

鈴木財務大臣は9日に「行き過ぎた動きに対してはあらゆる手段を排除せずに適切な対応を取りたい」と述べるなど、これまでもたびたび為替介入の可能性に言及しています。節目とみられてきた1ドル=152円台に到達したことで、市場では政府・日銀による為替介入への警戒感が高まっています。