昭和24年(1949)4月|日本円に対する単一為替レートが設定される


今の人はもう忘れてしまった大昔だが、固定為替相場制で1ドルが360円と定められ、1949年4月25日から1971年8月15日の金・ドル交換停止まで、22年間続いていた。


日本などに為替レート切り上げを要求した。 12月、22年間続いた1ドル=360円から308円へ。 73年には変動相場制に移行。

イギリスなど欧州諸国だけでなく、この20年ほどで持ち直し気味の米ドルも超長期では下落組だ。資源国や新興国が力をつけて通貨価値を高めた裏返しで、先進国通貨の総体的な価値は世界経済の中で弱くなった。それをもって先進国の経済が全般に「没落」してきたとは評価できないだろう。

為替レートは、それ単体で国家の衰亡を語れるほど単純なものではない。日本経済の興亡と貿易・為替相場がどう絡み合ってきたか、じっくりと理解すると、今の円安のインパクトや意味も違ってみえてくるはずだ。

沖縄復帰50年~ドルが円に替わった日 | 横浜六浦教室からのメッセージ

自由になった年の年末にはもう308円に価値が上がり、それから上下があって現在は110円あたりになっている。

240を超えた1995年のピークから右肩下がりで、これはちょうど日本がデフレの様相を強めて日銀が「超」のつく金融緩和を続けた「失われた30年」と重なる。この間に日本円の購買力は下がり続けたわけだ。

円相場が一時1ドル=150円に → 円安って良いこと? 悪いこと?

これはどういうことかと言うと、自由化以前は、日本で1杯100円のコーヒーが、外国では400円近く払わなければならなかったわけで、大変高くつくから飲むのも差し控える。

これは1989年末に三重野康が日銀総裁に就任した頃から、95年の阪神淡路大震災を経て、2011年の東日本大震災を経て、2012年の安倍政権成立時までが円高時代と言える。この時代に日本は経済大国の座を失いそうになった。それを「経済を取り戻す」と叫んで出たのが、アベノミクスである。そういうことから言えば、円安こそ日本のためになると言える。これが一貫した筆者の持論ではあった。

円安が進み、32年ぶりに1ドル150円を突破したことが、大きなニュースになりました。そもそもなぜ「円安」が問題になるのでしょうか。

私のYouTubeチャンネル「高井宏章のおカネの教室」で、実質実効為替レートの解釈を含め、ベテラン為替ウオッチャーの田中泰輔氏と踏み込んで議論したことがある。ご興味のある方は〈円安=日本経済衰退論に異議あり!「安い日本」は本当か〉をご覧いただきたい。

同じ発想で円の実力をはかる指標が日銀の公表する「実質実効為替レート」だ。ドルだけでなく様々な通貨に対する円の総合力を示すこの数値は、1970年を100とすると、足元で90台まで低下している。


1972年沖縄復帰で大転換!ドルから円への切り替え“Xデー”

1ドル360円時代の米国滞在体験談や旅行記を読むと、現地の物価の高さ=円の安さに苦労するエピソードにあふれている。当時の人々の嘆きと最近のニュースやワイドショーで耳にする海外旅行者の悲鳴はそっくりだ。

【日経】円ドル相場・人民元相場など為替の最新ニュース、債券市場の最新動向をお届けします。

天皇を抱えた軍部の独裁暴走、敗戦国焼け野原のゼロからの再出発、なんとか独立国に復帰…。世界の一流国に追い付きたく先進国をコピーしながら励んでいたのであった。

東京外国為替市場の円相場は10月20日、一時「1ドル=150円」まで値下がりしました。ここまで円安が進んだのは、実に32年ぶりのことです。

このインフレ格差を考慮すると、1000円で買える1ドル紙幣が増えても、米国現地での「使い出」は半世紀前とほぼ変わらない計算になる。名目値でみれば財前の言うとおりに円高になっていても、円の対ドルの実質価値は50年で「行って来い」になった。

1971年 円切り上げ 1ドル=360円⇒1ドル=308円へ 1973年 固定為替相場制から変動為替相場制に移行,第1次石油危機

円の為替相場もどんどん上がり、入って来る外貨を貯め込み過ぎていると、諸外国から非難の的。

後にも述べるように,わが国経済は 1 ドル= 360円” という為替レートの堅持を大前提に高

高度成長期の円ドル相場が最高だった。つまり360円だという理屈も成り立たないことはない。そして、円高の時に日本経済の成長は疎外されたのだ。

円高が進んだ1995年4月の実質実効為替レートは193.97だったから、日本円の購買力は半分以下になっている。ここ50年で最低の円安。

一流の個人客ではないが、集団で押しかけてお金を落としてくれる大事な収入源は、現在の中国

日本政府はなぜ円安を放置しているように見えるのか?|Willy OES

それからバブルがあって、日本が世界を全部買い取れるような気分の時もあった。1960年代の貧しい開発途上国時代に海外にいた日本人は、海外渡航も許可制だったから、ある程度以上の社会層に限られていたこともあって、みんなで助け合って暮らしていた。

1ドル160円を超える円安ドル高を記録し、インフレを調整した実質実効レートで見る日本円の価値は1ドル360円 ..

高度成長期と言われた1955年~1973年辺りの18年間(1955年~1973年)のうちの16年間は、円ドルレートは1ドル360円の固定相場制だった。この時に、日本経済は最も勢いよく成長した。GDPは7年間で2倍になった。成長は一部分では副作用を生むが、今の日本にとって何よりも成長が重要である。

「1ドル=360円」の固定相場だった時代と同レベルの購買力しかない…「安いニッポン」の根本原因【元IMFエコノミストが解説】

円の価値が高くなり、海外旅行や為替が自由化されるに従って、パリの日本人社会も「お金持ちと貧しい人」「使う側と使われる側」に分かれていった。

【解説】円安がとまらない! 日銀・次の利上げはいつになるのか?

お金の価値はどれだけモノが買えるか、いわゆる購買力で決まる。360円時代と今を比べるなら、「1ドルが何円で買えるか」と「そもそも、そのお金で何が買えるのか」を総合的に評価する必要がある。

日銀は金融政策決定会合で、金融政策の維持を決定。それを受け、円相場は1ドル156円台にまで下落、約34年ぶりの円安ドル高水準を更新した。

外国で暮らすと、円の評価が高くなって上昇していくのが理想であると身にしみている。円の為替価値が下がる方が輸出に有利だから、関連会社の株価が上がって、逆に「儲かった」と喜ぶ今の経済が理解できないのである。

日本銀行とBIS(国際決済銀行)が算出・公表している円の実質実効為替レートがついにデータがさかのぼれる1970年以降の最低水準を下回った。

この議論なしに「良い円安だ、悪い円安だ」と議論してもあまり意味がない。何を基準にして「行き過ぎた円安」「行き過ぎた円高」なのかが曖昧である。

1ドル200円、300円、500円、1000円と上がり続けて安定するということが ..

パリの南端の住宅街に、大きな貯水池があって脇に3本の道路が交差する、ガランとした三角ロータリーが古くからあった。ちょうどその辺りの風景をデッサンしていた頃に、アッと言う間に滑り台やシーソーが据えられ、鉄柵で囲まれて子どもの遊び場に変わってしまった。アパートの暮らしで、ベビーから子ども、大人まで一日に一度は外の空気を浴びなければいけないと習慣づけられているパリジャンは、午後のひと時にはぞろぞろと歩く。老夫婦、飼い犬の散歩をする人、ジョギングをする人。公園や広場も沢山あって、ベンチも各所に置かれている。ここは今では、乳母車を押してくる地区の子守りの人たちの集い場である。

仮かつての固定相場の360円に達してそこで止まる保証はありますか?

ル・サロン展油絵金賞を受賞し、終身無鑑査。そのほか、フランス大統領賞、フランス学士院絵画賞なども受賞。

それはファンダメンタルズに沿って、360円のときもあれば75円のときも ..

もっとも、「1ドル360円だった1970年代より十分円高になっている」という財前の認識はやや的外れだ。長期では、名目値の為替レートの比較に意味はない。

なるほどファンダ的に、もうすぐ正月で介入は絶対ないからそれで投機に遊ばれているのか。1月頭にはまた156円戻るかな。

またファッション記者としても活躍し、プレタポルテを日本に初めて紹介。ジバンシイやバレンシャガなどの多数のブランドが初めて日本の百貨店に出店する際にも橋渡し役として活躍したことでも知られる。

【FX】「2025年ドル円予想、170円へ …避けられないドル高 ..

どのレベルが望ましい為替レートであるのか、何が正常なレートなのか、こういうことを議論なしに、何年ぶりの円高だからとか、何年ぶりの円安だからという議論が極めて多い。国民経済全体の物差しで測った時に、何が正常か、何が望ましいかを最初にきちんと議論しておく必要がある。