8月1日「東京パフォーマンスドール オフィシャル・ハンドブック」学習研究社より発売


【人物】
東京パフォーマンスドールから初めてソロデビューしてメンバーで、元々芸歴があったらしい。
1軍と2軍のクラス分けで2軍に入れられたことに納得できず、同級生で仲の良かった『仲田薫理』と共に脱退。


8月5日『東京パフォーマンスドールのオールナイトニッポン』(ニッポン放送) 放送

【人物】
1994年9月フロントメンバーに昇格。
『市井由理』と同じオーディションを受け(東京パフォーマンスドール関係のないオーディション)、後日2人揃ってに東京パフォーマンスドールへの参加に誘われた。
ライブメンバーのリーダー的存在で、東京パフォーマンスドール卒業後も1年程は『川村知砂+Les,TPD』というユニットでの活動を継続していた。

【人物】
同じオーディション(『ロッテ CMアイドルはキミだ!』オーディション)を受けたことのある『八木田麻衣』がいるということで、たまたま東京パフォーマンスドールのライブ会場に入り、当然のように加入を勧められそのままメンバー入りした。
東京パフォーマンスドールがアイドル路線に向かうきっかけになったメンバーと言われている。

以上、東京パフォーマンスドールのメンバーにまつわる名前の話でした。(;^_^A

【人物】
『第9回ミスマガジン』(1990年)の準グランプリ獲得者。
東京パフォーマンスドール加入前に『桜っ子クラブ』の前身番組『アイドル共和国』内のオーディション『HOP!STEP!とびだせアイドル』に参加している。

【人物】
フロントメンバーの中では最年少の妹キャラだが、実際には長女気質だったらしい。
東京パフォーマンスドールのフロントメンバーが出演したメガネスーパーのCMで流された『Romanticに背伸びして』は彼女の楽曲である。

東京パフォーマンスドール(TPD) (@TPD_official) / X

【人物】
東京パフォーマンスドール退団後しばらくして芸能界を引退したが、2002年に『慈音』と改名し『SkyLight』というバンドのボーカルとなる。
現在もいろいろと活動を行っている模様。

【人物】
顔立ちが良く非常に人気の高かったメンバー(個人的な好みを含むw)。
独特の雰囲気があり、また歌唱力が高かったため、コンサートではソロで歌うことが多いメンバーでした。
卒業後もソロ活動を続けたが長続きせずに引退、その後1度復帰するも目立ったな活動はせずにフェードアウト。
現在は地元である広島の動物愛護団体に加入しているようで、動物の殺処分を扱ったドキュメンタリーに出演し一部で話題となった。

東京パフォーマンスドール Tokyo Performance Doll

【人物】
東京パフォーマンスドール解散後、声優に転身し活躍した。

【人物】
ダンスが得意な男前メンバーというイメージだが、グループ加入前のダンス経験は一切なかった。
東京パフォーマンスドール卒業後しばらくして芸能界を引退、その後”男性”と結婚した。
後述するラジオ『帰って来たパフォーマンスドール〜TPD Returns〜』に2014年に登場した際は、尋常じゃないぐらいのおばさんキャラになっていました。Σ(゚Д゚)


東京パフォーマンスドールTokyo Performance Doll

90年代に活動していたダンスポップエンターテインメント集団「東京パフォーマンスドール」の軌跡を記録しています。このブログは個人で運営されており東京パフォーマンスドールの所属事務所・所属レコード会社等とは一切関係ありません。

東京パフォーマンスドールはどんな人? わかりやすく解説 Weblio辞書

90年代に活動していたダンスポップエンターテインメント集団「東京パフォーマンスドール」の軌跡を記録しています。このブログは個人で運営されており東京パフォーマンスドールの所属事務所・所属レコード会社等とは一切関係ありません。

木原さとみ · 東京パフォーマンスドール · 穴井裕子 · 篠原涼子

【人物】
後に『晶姫』、更に『maylee』(メイリー)と改名し、『KRUD』というダンスボーカルグループにボーカルとして所属していた。
東京パフォーマンスドール退団後の活躍として顕著なのは、1996年から現在まで続くFM NACK5で放送されているラジオ番組『HITS! THE TOWN』の出演で、帰国子女だった彼女は番組内でとんちんかんな発言を行い人気を集め、1999年10月から2008年3月までの8年半という非常に長い期間出演した。

篠原涼子「東京パフォーマンスドール」メンバーと今でも連絡取り合う仲 当時「ケンカとかした時期も」 ..

東京パフォーマンスドール大好きおじさん。いつの日かパフォーマンスドールが評価されることを願って日々邁進中。

東京パフォーマンスドールの最新情報やメンバーSNSなどはコチラ

【人物】
後に『』や『』などのテレビ番組とタイアップしたアイドルグループなどに加入。
一時期は警視庁立川警察署にも”加入”していた。

誰も評価していない東京パフォーマンスドールを語る #4 [組織構成]

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【人物】
グラビアアイドルが多数所属する芸能事務所サンズエンタテインメントを経て、現在はものまねタレントとして活動。
一時期流行っていた女子芸能人のフットサルにもよく参加していた。

東京パフォーマンスドール/check my heart | Sinn音楽館

【人物】
テレビ東京の夕方に放送していたティーンエージャー向け情報番組『』出身で、1989年に開催された第1回のミスチャンピオンに『鈴木蘭々』と共に準グランプリを獲得(グランプリは、3代目ミニスカポリスの『宮内知美』)。
東京パフォーマンスドールでは年長メンバーだったため自ずとリーダーとなった。
東京パフォーマンスドールのメンバーは、彼女を中心に未だちょくちょく再開しているようで、やめてからのほうがリーダーをしているとの話もある。

東京パフォーマンスドール TDP名義の初シングル参加メンバーは7名

【人物】
『笛木優子』に改名した後、韓国に渡り映画やドラマで大活躍した。
現在は日本に帰国して女優として活動中。

東京パフォーマンスドールが、9月26日Zepp Tokyo ..

と、多くの人数及びユニットに渡ります。
これは、AKB48でいうと公演曲を次から次へとシングルCD化するようなもので、東京パフォーマンスドールの活動を支えていたのがレコード会社(EPIC・ソニー)であったという事情も絡んでいるかと思います。

(3ページ目)″元祖にして伝説″のアイドルグループ「東京パフォーマンスドール」の初代メンバー、木原さとみと八木田麻衣が告白。

東京パフォーマンスドールは、ソロはもちろん派生ユニットも片っ端からCDデビューしていたため、以下で紹介するグループはAKB48でいうところの劇場公演ユニットのような感じで、本格的にグループ活動をしていないグループも含みます。

東京パフォーマンスドール、3種のメンバープロデュース公演大盛況!

1990年 5月21日:ゴルビーズ(JUST LIKE MAGIC)
1990年 6月21日:篠原リエ(愛がすべて)
1990年 7月21日:米光美保(予感)
1990年 8月 1日:木原さとみ(ブギウギ・ダンシング・シューズ)
1990年 8月22日:原宿ジェンヌ(純愛90’s)
1990年11月 1日:川村知砂(誓い)
1991年 1月21日:篠原涼子(恋はシャンソン)
1991年 2月21日:市井由理(恋して女みがいて)
1991年 3月21日:穴井夕子(WE SHOULD BE DANCING)

(東京都・渋谷区)にて、メンバープロデュースによる3種のライブ公演「東京パフォーマンスドール@シブゲキ!

【概要】
東京パフォーマンスドールが結成される前に集められた3人で、当初はこの3人でデビューする予定だった。

【S-style1月号掲載】東京パフォーマンスドールインタビュー全文公開

ちなみに、東京パフォーマンスドールがCDデビューするより前にデビューしたソロメンバーやグループ内ユニットは、

元東京パフォーマンスドール広瀬晏夕さんインタビュー#1――アイドル戦国時代を振り返る · 鉄人ノンフィクション編集部

【概要】
フロントメンバーかつ結成メンバーの2人ユニット。東京パフォーマンスドールにおける主要ユニットの1つ。

(4ページ目)″元祖にして伝説″のアイドルグループ「東京パフォーマンスドール」の初代メンバー、木原さとみと八木田麻衣が告白。

東京パフォーマンスドールが『原宿RUIDO』で始めてライブを行ったのは1990年6月9日ですが、実際に東京パフォーマンスドールの歴史は1989年11月19日に行われた『EPIC・ソニー/アンクルF合同オーディション』まで遡ることができます。
このオーディション後に集められたメンバーは、当初、木原さとみと篠原涼子の2人だけだったそうです。
その後、この2人に川村知砂を加え3人で活動していくことが決まるのですが、直前になって3人では少ないという意見が出され7人にすることが決まり、急遽4人のメンバーが集められます。
最初に集められた3人は、『原宿RUIDO』デビュー前に『ゴルビーズ』として1990年5月21日にCDデビューしていることからも分かるように、東京パフォーマンスドールの始まりはかなりごたごたしたものでした。
ちなみに『ゴルビーズ』という名前は、当時のソ連で改革を行っていたゴルバチョフ書記長のニックネームであるゴルビーをもじったもので、アイドル界に革命を起こすという意味があります。
しかし、誰がどう見てもとってつけた名前であることは明らかです。
このような事例からも分かるように、東京パフォーマンスドールはオーディションなどで人を集めて明確に始まったわけではなく、レコード会社の『EPIC・ソニー』と芸能事務所の『アンクルF』が何かを始めようとして、とにかくメンバーを集めて活動し始めたものだったと思われます。