予想以上に強い米景気が続くなか、米国の高金利が長期化し、日米金利差の「米ドル優位・円劣位」を受けて“円売りバブル”が止まらない現状。


しかし、2008年10月に「リーマン・ショック」が起こると、豪ドル/円はほんの数ヶ月で100円から50円台へほとんど半値まで大暴落に向かった。2007年の「円売りバブル」が崩壊に向かう中でのクライマックスを演じる「オージー・ショック」となったのだった。


ドル円は一時2007年7月20日以来となる122円台を付ける!

NYダウは2007年から2009年にかけて約5割の下落に向かったが、この下落率も1990年以降の日本のバブル崩壊の日経平均や2000年以降のITバブル崩壊のナスダック指数の最大下落率7~8割よりは小さい。この局面の株安はバブル崩壊ではなく、一般的な「上がり過ぎ」の反動ということだったのではないか。要するに、「バブル崩壊」ではなくても、大幅な株安とFRBの利下げへの転換の中で、為替相場の円安から円高への転換が起こったわけだ。

豪ドル買い越しの縮小は、それに比べると比較的緩やかで、豪ドルは2008年にかけて買い越しが維持された。FRBの利下げを尻目に、豪州では原油高などを背景に2008年にかけて利上げが続いたことなどの影響があったと考えられる。

2003年~2007年のドル円相場を振り返ることで見えてくる今後の展開

当時は「信用バブル」と呼ばれたが、株価も「バブル」、つまり極端に行き過ぎた株高だったかと言えば、実は微妙だった。2007年当時のNYダウ5年MA(移動平均線)かい離率は最大で3割程度の拡大にとどまっていた。これは2000年にかけてのITバブルや、1996年12月に当時のグリーンスパンFRB議長が「根拠なき熱狂か」と指摘した頃の同かい離率が最大で8割近くも拡大したことに比べると、極端と言うほどではなかった(図表4参照)。

それは、最近の場合ならメキシコペソ/円などがまさにそうだ(図表5、6参照)。2007年当時似たような状況にあった豪ドル/円の上昇は結果的には続かなかったが、今回のメキシコペソ/円はどうだろうか。

ドル円、心理的節目150.00を試す展開。米10年債利回りは2007年7月以来の高水準へ(10/19朝)

大幅な金利差円劣位の中で円売りが行き過ぎた拡大に向かう。その中で特に高金利通貨で、大幅な金利差がより優位な立場にある外貨は、円に対し数年間で倍以上に上昇し、5年MAとの関係で見ると過去の経験で説明できる範囲を遥かに超えた上昇となっている。

では、2007年にかけて展開した大幅な金利差を受けた米ドル高・円安は、どんな流れで米ドル安・円高へ転換したのか。きっかけになったのは、2007年夏以降、後に「信用バブル崩壊」と呼ばれるようになった株の暴落と、それを受けたFRB(米連邦準備制度理事会)の利下げへの転換だった(図表3参照)。

金融マーケット『円債利回り・ドル/円レートの6ヶ月見通し』(2007年4月号)

極端に豪ドル買い・円売りに傾斜していた可能性のあったポジション。その中で豪ドルは2007年に入り、ついに「夢の大台」100円を大きく越える上昇となった。それを過去5年の平均値である5年MA(移動平均線)との関係で見ると、5年MAを3割近くも上回る動きだった。豪ドル/円には、5年MAを2割程度上回ると循環的な上昇が終了するパターンがあった(図表4参照)。その意味では、100円を大きく上回る豪ドル/円は循環的な限界を超える上昇となり始めていた。

一方で同じ豪ドルのポジションは2006~2007年にかけて買い越しが8万枚以上で推移していた(図表3参照)。これは豪ドルの買い越しとしては記録的な高水準だった。対米ドルで円は空前の売り越し、一方、豪ドルは記録的買い越し。この2つのデータを組み合わせると、豪ドル/円は大幅な豪ドル買い・円売りに傾斜していたと考えられる。大幅な政策金利差の豪ドル優位・円劣位などを背景に、豪ドル買い・円売り「バブル」と言えるような状況が起こっていたのではないか。


2007年11月以来の高水準に達した豪ドル円の上値余地に警戒か

2007年にかけての局面では、日銀の金融緩和見直しも行われた。日銀はこの局面で、2006年に2001年から行っていたゼロ金利を解除し、さらに2007年2月には追加利上げを行った。ところが、米ドル高・円安は2007年夏にかけて続いた。以上から考えられるのは、大幅な日米金利差の中では、日銀の政策変更に伴う小幅の円金利上昇の米ドル/円への影響は限られたということではないか。

2007年11月以来の高水準に達した豪ドル円の上値余地に警戒か ..

2000年以降で金利差米ドル優位が今回のように5%以上に拡大したのは、ほかには2006~2007年だけだった。この局面における大きな特徴の1つが円売りの「バブル化」だった。CFTC(米商品先物取引委員会)統計の投機筋の円売り越し(対米ドル)は、空前の記録となっていた(図表2参照)。大幅な金利差の中で、円売りが拡大するという最近の状況は2007年と重なる面が多そうだ。

FX[ドル円]チャート記録 ; 2007年7月31日(火曜日)

2007年当時の豪ドル/円は長期上昇トレンドが展開中だった。2000年に1豪ドル=50円台から始まったこの上昇トレンドにおいて、2007年にはついに100円の大台を超えるまで約7年で倍になっていた(図表1参照)。

為替ドル円相場 2007年7月31日までの6カ月間推移チャート

週刊エコノミスト 2007 年 4 月 10 日号
毎日新聞社
刊行:2007/04/10(発売:2007/04/01)
名大生協で購入
読了日:2007/04/06
最近は銀行に行くと外国債券・株式の投資信託を勧められたりするのだが、為替変動がこわい。で、本屋の店頭で見つけた週刊誌を買って読んでみた。ついでに言えば、最近は円が安いおかげで、大学の図書費(主に洋雑誌代)が上がって財務が苦しくなっているのもわれわれにとっては身近な話題のひとつ。いろいろな記事に為替変動の要因がいろいろ書いてあるわけだけれど、結局のところ後付けの理窟はあるけど今後の予想は難しい。最近の特徴は、為替相場を貿易取引ではなく資本取引が決めているということで、個人マネーの外貨による運用も無視できないとのこと。私も経験したところで、銀行がそれを勧めていたりするのだから、それもむべなるかなである。円キャリートレードなんていうことばも最近新聞でも見かける新語。新語と言っても、素人には新語でも玄人筋は昔から知っていたのだろうけれど。上のどちらの現象にしても、大ざっぱに言えば、彼我の金利差が為替レートを決定づける大きな要因であるということのようである。記事の中で、そういえばそうだったと思ったのは、最後のドル・円レートの1971 年以降の歴史を振り返った、高島修「ドル基軸維持に翻弄されてきた円の歴史」である。世界政治の流れで為替レートが動いてきた歴史を振り返ることができる。政策的な為替介入が為替レート変動の大きなトレンドを支配してきたことが分かる。ここに 1971 年以来のドル・円レートのグラフが出ている。1 ドル=360 円だった時代からすると、ドルは円に対してずいぶん安くなったものである。円高・円安で世の中一喜一憂するわけだけれど、ここのグラフを見る限り、最近振幅はだいぶん小さくなってきているようである。1989 年に 160 円くらいになり 1995 年に 80 円くらいになったのを最後に振れ幅はその範囲内で納まっているしだんだん振幅が小さくなっているようにも見える。将来のことはもちろんわからないけれど、特集タイトルの「暴走」に反して、ドル・円レートは安定してきている、というのが長い目で見たときの正しい見方かもしれない。

米ドル対円相場(仲値) 一覧表 (2007年) | 七十七銀行

ドル円の8年周期は、主要通貨のサイクルの中ではもっとも信頼性が高いともいわれている。この周期は景気のサイクルと連動しているという見方が主流だ。また、8年周期が投資家に周知されており有名なため、投資家がそのサイクルに導かれているのではないかとの指摘もあるようだ。

[PDF] 為替相場推移(米ドル・スイスフラン・英ポンド・ユーロ) 2007

2008年にはリーマンショックが起きドルが急落した。2011年10月にはドル円の史上最安値である75円台をつけた。月中平均でも76円72銭と過去最低を更新した。日本政府はリーマンショックによる世界的な景気縮小に対し、2013年以降、アベノミクスとして超低金利と円安政策を推し進めた。日本が低金利を続ける一方で、いち早くリーマンショックから回復した米国が利上げをはじめたことで、日米金利差の拡大からドルは買われた。2015年6月には125円81銭のドル高をつけた、6月の月中平均は123円70銭で約8年1ヵ月ぶりの円安だった。

カナダ・ドル, CAD, 1unit, 117.95, 114.75, 111.55, 108.35

90年代後半のアジア通貨危機後から2000年台初にかけてITバブルで世界的な景気拡大局面があった。世界景気拡大でドル安が進み、1999年11月には101円台の円高を付けた。月中平均では1999年12月の102円61銭が円高のピークとなった。2001年に米同時多発テロが起きたことで、ITバブルは完全に崩壊する。ドルは売られたが円も売られたため、ドル円は比較的狭いレンジでの動きだった。2007年の世界的な景気拡大局面にあわせて、ドル円は2007年6月には122円64銭と約8年10ヵ月ぶりの円安をつけた。

過去5営業日分の為替レートを表示します。 1米ドル, 1豪ドル

90年以降は日本のバブルが崩壊し円高が進行した。1995年4月にはドル円は一時79円台と80円を割り込み当時の史上最安値をつけた。4月の月中平均は83円53銭だった。90年代後半には、日本の銀行の不良債権が拡大し金融機関が相次いで破綻し、アジア通貨危機も起こったこともあって円安が進むことになる。ドル円は1998年8月には147円台を付け、1990年4月以来、約8年4ヵ月ぶりの高水準となった。

下記は、当時のグラフです。 (ドル/円相場・週足) 2007 年 8 月~10 年 7 月迄

日本政府は、急激な円高で日本の輸出企業が大きなダメージを受けることを避けるために、景気対策として超低金利政策を推進した。これが世界景気の拡大および日本のバブルを助長することとなった。ドル円は1990年4月には160円35銭まで買われ、4月の月中平均は158円50銭と約7年6ヵ月ぶりの高値を付けた。

外国為替市況(日次) : 日本銀行 Bank of Japan

ドル円は1982年10月に278円台と80年以降の最高値をつけた。82年10月の月中平均は271円33銭だった。ソ連がアフガニスタンに侵攻し地政学リスクが高まり、有事のドル買いが進んだ。その後ドル円は反転、1985年9月のプラザ合意でドル安誘導政策が取られたため、1988年11月にはドル円は120円台まで売られ当時の過去最安値をつけた。11月の月中平均は123円16銭だった。

2014年の振り返り(為替市場) 年後半一挙に進んだ円安【デイリー】

日銀が公表している東京インターバンク相場の月中平均のドル円レートで検証してみよう。

米ドル対円相場(仲値) 一覧表 (2008年) | 七十七銀行

以上を踏まえると、2007年と類似していると考えられる最近の大幅な金利差を受けた円安が円高に転換するのは、大幅な株安や日米金利差米ドル優位縮小などが必要十分条件ということではないか。