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まことに意を尽くしている。「耳から」の言葉を日本語論として捉える視点の欠如は、まさしく音楽家ならではの指摘であるし、「教育の現場」云々も、放置されるどころか、私の実見(「実聴」とすべきかも)では、現在では先生方が率先して、この「がぁでぇ調」を使って話されている。生徒たちがそれを話し方の「乱れ」と気付かされるはずもない。


海老原嗣生さん卒業ツアーでのアジ演説 2021年3月25日名古屋

要するにセンテンス全体のアーティキュレーションは無視され、言葉の要素ごとに、その末尾にアクセントの強調とリズムの引き伸ばしが必ず来る。以前の日本語の話し言葉にはなかった、平坦で単調な、無個性で規格的なエロキューションが成立している。
日本語の乱れ、ということがさかんに指摘されるが、抽象的な、あるいは活字になった文章や文字の視覚からの議論が多く、この聴覚上の乱れはあまり本気でとり上げられず、おそらく教育の現場でも放置されているのではあるまいか。耳からのことは二の次、というのは、これも日本語的特徴にちがいない。(同書一二二ページ)

NHKが、日本語の正統性を守る砦とは、すでにお世辞にも言えないが、ともかく、その解説者やアナウンサーにさえ、この話し方は蔓延している。TVなどで、たまに、本当にたまに、この話し方の片鱗も見せずに話をする方に出会うと、心からホッとするし、それだけで、大袈裟ながら話し手に敬意さえ覚える。

海老原嗣生さんの『HRmics』休刊、ニッチモ社解散ツアーでアジ演説。熱い想いがここに。 同志諸君。 こんにちは。 常見陽平と申します。

というわけで、左翼のアジ演説風に、焼きそばの作り方を書くことにする。これはこの本にも載ってないんだぞ。

ある機会に、私がこの現象を話題にした時、さる大学関係者の方が、それは例の学生紛争(特に一九六八年に始まった新左翼を主体とする学生運動)での、学生たちのアジ演説が発端ではないか、と反応されたことがある。「我々わぁ、学校当局がぁ、不当にもぉ ・・・ 断固ぉ、粉砕するぞぉ」という例のあれである。この説は、実は柴田さんも書いておられる。引用してみよう。

割腹自殺の直前、自衛隊市ヶ谷駐屯地のベランダでアジ演説する三島由紀夫(1970.11.25)

要するに私は、この話し方を「昨今」のこととして理解していたが、それは全くの誤りで、すでにほとんど半世紀前に、音楽家の鋭い耳は、この現象を正面から捉えて、日本語論の一つとして論ずべき、と考えておられたことになる。柴田さんの記述は、とても魅力的なので、先ずは現象の説明の部分を引用してみる。

よく、学生のアジ演説の調子からの影響さ、という意見が出るが、果たしてそうだろうか。彼らがマイクを握った時、子供の時の口調が口をついて出た、とも考えられる。鶏と卵とどちらが先か。わたくしは昭和三十五年に入学した女子の大学生がすでにこの口調に染まっていたのを経験しているから、彼女らがもし、その習慣を小学校以来身につけていたとすると、昭和二十年代の後半にはすでにこれが発生していたことになる。(同上)

Meaning of アジ演説 in Japanese | RomajiDesu Japanese dictionary

無論、このタイトル自身がすでに明らかにしているように、ここで柴田さんは、私が「聞き苦しい」と書いたポイントを主題的に論じられている。しかも、私のように、聞き苦しいが、この話癖はどこから来たのだろう、と放り出さずに、きちんとしたご自分の推理、解釈を記しておられたのである。それにしても「がぁでぇ調」と名付けるとは、言いも言ったり。

ええっ、と思う。学生のアジ演説が激越を極めたのは、一九六八年(昭和四十三年)の学
生運動だが、この「がぁでぇ調」はすでに昭和三十五年(一九六〇年)の学生が身に付けていたのだから、アジ演説由来説への反論が可能、という趣意で、柴田さんは書かれている。しかしこの文章はまた、図らずも「がぁでぇ調」の発端が一九六〇年以前であることをも物語っている。そうだとすると、この話癖は今から見れば半世紀をはるかに超える歴史を持つことになるではないか。


〔ビラ〕川内、徒刑場と化す/退学2名、無期停6名‼/アジ演説で退学! 製作者

しかし、やや後悔もした。手軽に読むにはいいけど、この本はなんせ装丁が素敵だし、紙をめくる楽しみがあるので、単行本で買うことをオススメする。デジタル時代、これもまた本の楽しみ方だ。

NezMozz a.k.a Uzme on X: 愛好家アジ演説 / X

あの傑作を電子書籍で、手元の端末で読むことができる。もともと持っていたのだが、リスペクトしている神田桂一さん、菊池良さんの本であり、鬼才石黒謙吾さんが関わった本であり、表紙も田中圭一さんだし、装丁も寄藤文平さんなので思わず電子版も2冊とも購入した。

まるでアジ演説みたいに、暑苦しく、アンパンマンの絵本の読み聞かせをやってみましたよ。

我々が勇躍決起した姿は圧倒的な共感を作りだし、見るものをおおいに鼓舞した。政治家や経営者どもにより困窮と抑圧の地獄に突き落とされたわれわれ市民は、このカップ焼きそばを通じて、国際的団結を創造し、なんとしても萩生田の弾劾、菅原の議員辞職を勝ち取るべく、魂を戦闘的に高揚させたのだ。

アジ演説 | アジえんぜつ | ajienzetsu :propaganda speech, inflammatory speech

ベストセラー『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(通称 もしそば)シリーズが、電子書籍化された。

デジタル大辞泉 - アジの用語解説 - 「アジテーション」の略。「アジ演説」

編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2019年10月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、をご覧ください。

扉に掛けてアジ演説を行った後、「社長C、役員Aは倒産の責任をとれ。団交に応

自らの不敏を曝け出すので、恥ずかしいが、かつて私は、現代世間で流行っている(と思った)話し方、「何々がぁ、どうとかしてぇ」の太字の部分をことさら強調する話し方が、まことに聞き苦しいと書いた。ここには、実は重大な誤認があった。この現象は、もともと「現代」のものではなかったのである。

ウーマン村本、みずからの「アジ演説漫才」を「面白い漫才」と確信していた!?

そういえば、私の現在の仕事のなかに、高校生を相手にしたある種のセミナーというものがある。出てくる出てくる生徒たちの誰もが、極端な「がぁでぇ調」なので、時に「その話し方は、日本語としてとても聞き苦しいものだと思う人たちがいるのだから、気を付けたら」と注意することがある。学校の先生が臨席されるときもあるのだが、一様に怪訝な顔をなさる。

NYには坂本さんがいる。文字通りに、巨大な存在として。これがどれだけ頼もしく感じられたことだろう。 学生時代のアジ演説を再現

次世代に殉国七士の精神を伝えようと、必死にアジ演説をするかつや老人なう。

56枚目から57枚目にかけて、「国民に告ぐ」と題した東条のラジオ演説の内容が記されています。

柴田説のように、すでに昭和三十年代の学校現場でさえ、咎めだてがなかったとすれば、現在の学校で、全く問題にされていない現状は、その当然の結果であろう。そして、そうであれば、TVなどに出てくるタレントたちが、一様にその話し方で押し通して恬として恥じないのも、不思議ではないことになる。

11 第6回アジ歴オンラインセミナー インターネット特別展『「普選」への道―デモクラシーの時代と戦前日本の選挙制度改革』展示解説会.

上智大学理工学部、東京大学教養学部、同学先端科学技術研究センター、国際基督教大学(ICU)、東京理科大学、ウィーン工科大学などを経て、東洋英和女学院大学学長で現役を退く。東大、ICU名誉教授。専攻は科学史・科学哲学・科学社会学。幼少より能楽の訓練を受ける一方、チェロのアマチュア演奏家として活動を続ける。