1/24 グンゼ改造 シェルビーコブラデイトナクーペ 製作開始


ウォルター ウルフ レーシング ジャパンでは、シェルビー・クーペやパンテーラGr.4のほかにフォード・モデルT・ロードスターピック(ピックアップトラック)ベースのTバケットやモデルAロードスターなども展示された。


グンゼのデイトナコブラを久しぶりに手に入れました。高校生くらいの頃、新製品で買って作ったキットです。ヤフオクで購入しました。

モータージャーナリストの中村孝仁氏が綴る昔話を今に伝える連載。第14回目はトミタオートから購入したシェルビー「デイトナクーペ」を振り返ってもらいました。

今回、アメフェスに姿を見せた02874は、パンテーラGr.4としては最終生産車であり、1973年のジュネーブモーターショーに出展された過去を持ち、製造された8台の中で唯一モータースポーツに参戦歴のないマシンだ。Gr.4としてのスペックを持ちながらロードゴーイングカーとして仕立てられており、過去ナンバープレートが付けられていたこともある。WWRJは同車に徹底的なレストアを施しており、新車のコンディションを今に残すパンテーラGr.4だ。そうした意味でも貴重な存在である。

1/24 グンゼ改造 シェルビーコブラデイトナクーペ 完成!

8台作られたパンテーラGr.4のシャシー番号は、02860、02858、02859、02861、02862、02872、02873、02874で、02874を除いてルマン24時間耐久レースやスパ・フランコルシャン1000km、ジロ・デ・イタリア、モンツァ1000kmなどの国際格式のモータースポーツに投入されている。

今回ご紹介するのは「デイトナコブラ」というクルマである。正式名称は(シェルビー デイトナ クーペ)と呼ぶようであるが、ロードスターの「コブラ」をベースにクラスのスポーツカーに仕立て上げたもの。年のマニュファクチャラーズのチャンピオンを獲得したマシンでもある。

シェルビーコブラ・デイトナクーペCSX9000. シェルビーコブラ.

当時のレーシングカーは、公道モデルに驚くほど近かった。自走でサーキットへ向かい、そのままレースを戦ったマシンも珍しくなかった。21世紀に再現されたデイトナ・コブラはモダナイズされている。しかし、現代の水準では大きな忍耐が必要だ。

本来、シェルビー・デイトナが搭載していたエンジンはのV8だった。だが、筆者が試乗したデイトナ・コブラに載っていたのは、GMのLS3ユニット。エアコンとパワーウインドウも装備されていた。

シェルビー・コブラ“デイトナ”クーペ, HW:ザ・ナインティーズ 96ポルシェ・カレラ, HW:ザ・ナインティーズ 90アキュラNSX

まあ、スポーツカーと言ってもほぼレーシングカーという方が正しい。当時同じカテゴリーでレースをしていたのがフェラーリ「250GTO」。これを打ち破ってのチャンピオンなのだから価値がある。もともとロードスターのACコブラ(ハードトップ付き)でル・マンにエントリーしたシェルビーは、長い直線のトップスピードがフェラーリより劣ると判断し、当時シェルビーに在籍していたピート・ブロックに空力性能に優れたクーペボディのデザインを指示。結果出来上がったのがこのクルマだ。

シェルビー コブラ デイトナはアメリカ車がヨーロッパの強豪メーカーを打ち負かすという歴史的な偉業を成し遂げた車として、自動車史に名を残しています。


ウォン警部のブログ記事「シェルビーコブラ・デイトナクーペCSX9000」です。

このパンテーラGr.3をベースに、FIAグループ4(特殊グランドツーリングカー:500台以上生産した2座席以上のクローズドボディ車)規定に基づいて同じ年に製造されたのがパンテーラGr.4で、製造はフェラーリのレーシングカー製造に経験を持つ英国人エンジニアのマイク・パークスが担当した。

シェルビー デイトナ クーペ SHELBY DAYTONA COUPE

果たして、シェルビー・デイトナは1965年のFIA世界選手権へ参戦。 セブリング12時間レースやル・マン24時間レースでは、クラス優勝を掴んでいる。製造数は僅かに6台。近年の取り引き価格は10億円を超えるというレアぶりだ。

ピーターブルック氏のデザインによるシェルビーデイトナは、コブラのシャーシを使いエアロダイナミックなボディにより、

このアイディアは見事に結実し1964年のル・マンでは宿敵フェラーリ250GTOを打ち破り、総合4位、GTクラスのウィナーとなった。そんな貴重なマシンがチャンピオンを取った翌年の1966年に日本へとやって来たのである。第3回日本グランプリに突如として姿を現したデイトナクーペは、酒井 正(敬称略、以下同)のドライブで雨の予選こそ最下位に沈んだものの、スタートでその大排気量のパワーを活かし、ストレートで一気にトップに躍り出た。その後2位を走るもまだまだハイパワーマシンを御しきれなかったのか、レースではエンジンを壊してリタイアしたが、そのスピードの片鱗はたしかに見せつけた。

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その指示を受けたシェルビー・アメリカンの技術者、ピート・ブロック氏は、基本的にコブラと同じパッケージングをベースに流麗なクーペボディをデザイン。コーダトロンカ・スタイルのテールを備え、空気を滑らかに受け流しつつ息を呑むほど妖艶だった。

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開発当初からパンテーラはモータースポーツへの参戦が考慮されていた。最初に開発されたレーシングモデルは、1972年に登場したプライベートカスタマーチーム用に製造されたGr.3で、およそ30台が製造された。このモデルは当時のFIAグループ3(量産グランドツーリングカー:1000台以上生産した2座席以上のクローズドボディ車)規定に従って、市販車両に6点ロールケージやレーシングバケットシート、消化器が追加され、強化カムシャフトと10Lに容量を拡大したオイルパン、ホーリーレーシング4バレルキャブレターなどのレース用パーツが追加された。

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当時のグランプリの公式プログラムがある。しかしエントリーリストに酒井 正の名も、またデイトナコブラの名もない。レース出場車として紹介されていたのは三保敬太郎のエントリーしたACコブラロードスターの写真が掲載されているが、これは出走していない。酒井はグランプリのエントリー締め切り1カ月前というタイミングで出場を表明したそうで、プログラムの作成には間に合わなかったということであろう。

ShevyCobraDaytonaCoupe/シェビーコブラ デイトナ クーペ

ファーストミニッツシリーズのシェルビー コブラ デイトナ (京商オンライン限定クロームモデル)は、操縦したすべての人がラジオコントロールの醍醐味を満喫できるように『新リアルドライブ機構』、『モード切り替え』、『自宅でタイムアタック』という3つのポイントに重点を置き、他のトイR/Cとの差別化を図っています。
また、シャシー本体には走行時の衝撃を吸収する前後サスペンションや、しっかりと路面をつかむゴムタイヤを装備し、 前後左右フルファンクションの『新リアルドライブ機構』と相まって自分の意思に忠実かつ安定した走りを約束。観賞用としても楽しめる完成済みボディは中々の出来栄えです。初めての1台として、さらにはトイR/Cからのステップアップとしても最適なファーストミニッツで、楽しいR/Cライフをスタートしてみませんか?

ShevyCobraDaytonaCoupe/シェビーコブラ デイトナ クーペ ..

多くのクルマ・マニアの羨望を集めてきたシェルビー・デイトナは、過去に少なくないレプリカが作られてきた。公式に認可を受けた、コンティニュエーション・モデルも存在する。だが、今回の例ほど見事な例はこれまでなかったと思う。

内燃エンジンが一般化する前、道路を作っていた蒸気機関のロードローラー。英国編集部が貴重な1台の運転を試みました。

翌1965年はワークスカーとしてガーズマン・ブルーのシェルビーアメリカンカラーに塗られ、2月のデイトナで総合6位入賞。3月のセブリングでも13位完走を果たした。ル・マンは欠席し、1965年はニュルブルクリンクに出場している(この時は12位)。

ラジコン First Mini-Z シェルビー コブラ デイトナ クーペ

1960年代に作られた、伝説的なレーシングマシンのナンバー付き車両を、公道で運転するという貴重な機会が新年早々やってきた。復刻版とはいえ、歴史的なモデルを直接的に体験できることなど滅多にない。

シェルビー デイトナ クーペ 入庫いたします。 シェルビー デイトナ クーペ ..

じつは2022年夏にこのクルマはアメリカのオートオークションに出品されており、出品目録にあった写真と展示車を見比べると、車体に入ったゼッケン番号以外はまったく同一の車両であった。おそらくは展示車両はこのオークションで落札されたか、落札後にオーナーから購入した上で日本に輸入したのだろう。

デイトナ コブラクーペ(CSX2602) (レジン・メタルキット)

正式名称”Cobra Daytona Coupe”は日本ではデイトナ・コブラとして60年代の日本グランプリを中心としたレース・シーンでは親しまれた存在でした。こちらの画像でGo!

北米では シェルビーコブラなどを復刻盤として 新車で製造販売されています。 ..

後日、資料を漁ったことで謎は解けた。この車両のシャシー番号はおそらくはCSX2469だろう。その出自は1990年代前半にオリジナルのコブラ・ロードスターをベースにシェルビー・デイトナ・クーペへと改造された車両のようだ。ただし、製造はキャロル・シェルビーの監修の元、彼のパートナーであり、コブラの専門家でもあるマイク・マクラスキーが手掛けている。どうやらシェルビーが自分用に作ったマシンらしい。

コブラ シェルビー ライセンスドモデル 5.0L DOHC コヨーテエンジン 認定 ..

だが、今回アメフェスに展示された車両はいずれのシャシー番号でもない。展示車両の細部をよく検分すると、後年スーパーパフォーマンス社が製造したレプリカではないようだが、1960年代にレースで活躍した車両とは細部の意匠が異なる。WWRJのスタッフに尋ねると「本物」との答えが返ってきた。これは一体どう言うことだろうか?